銀色の道(後篇)
調査の結果を受けたイタコの提案で、はるばるいわきまでやって来た東北三姉妹とめたん・うさぎ。しかし、そこには悲しい現実が待っていた……。
(承前)
(——二日後、いわき駅六番線——)
ご乗車ありがとうございました、終点いわき、いわきです。お忘れ物のないようご注意下さい。
いわき、いわき、終点いわきです。常磐線勝田、水戸、久ノ浜、広野方面はお乗り換え下さい。
自動放送と駅員による放送が響く中、磐越東線の気動車から降りた一同は、めいめいに伸びを始めました。
……うーんっ、着いたぁ。
………………普通列車は、春に帰省して以来久し振り。
みなさん、無理させてごめんなさいね。でも今、東北の別の県から鉄道でいわきというと、最終的にこの経路で入るしかありませんから……。
その言葉に、イタコのみならず全員が一瞬黙りましたが、改札口を出るとすぐにその沈黙も消え、イタコがメモを取り出す音が響きました。
夏井経由西原行、十一時十分発……ですわね。
一時間半待ちかあ……汽車の本数も少ない、乗合の本数も少ないのダブルパンチはやっぱりきっついなあ。(ノД`;)
——しかも、日曜祝日全部運休とは……。
嘆いても仕方のないことですわ。喫茶店にでもこもっていれば、すぐですわよ。
……あ、そうだ。話は変わるけど……わたしたちはともかくとして、うさぎちゃんやめたんちゃんは、お昼おにぎりでよかったの?
………………あちらで食べなければいけない以上、簡単なものの方がいい。
うさぎに同じく。とりあえずあっちで食べて、その後どうにかしましょ。いずれにせよ向こうで二時まで待つんじゃ、少しでも食べないわけにいかないわ。
めたんの言う通り、大国魂神社停留所からの上りは十四時十六分。若い育ち盛りの女の子に、午飯(ひるめし)をそこまで我慢せよとは酷な話でしょう。
ずんだとお餅も持って来てあるし、いざとなったらそれで一発……。
というより、いざとならなくても食べたいですわね。
そんなことを言いながら、一同は駅ビルの中の喫茶店へ足を向けたのでした。
(——十一時二十五分頃、西原行乗合車内——)
次は、大国魂神社、大国魂神社でございます。
はいっ……と。
ずん子が手近の降車ボタンを押すと、ポーン、と軽やかな音が鳴り、やがて乗合は交叉点を越えた先の停留所で停まりました。
五名でお願いしますわ。
はい……じゃ、これで。足許にお気をつけ下さい。
とすっ、と一同が歩道に下りて、乗合が行ってしまうと、そこはもう丘の裾に水田が広がっているだけの、のどかな田園風景でした。
……お弁当、買って来て正解だったね。郵便局とこの煙草屋さん、そしてこの自動販売機しかない場所じゃ。
そんなに珍しい話じゃありませんわ。それほど大きな集落でもないようですし、外部から人がそう来ることもないでしょうしね。
——えーと……そこの十字路を左に曲がって道なりにまっすぐ、ですね。
きりたんが地図を開いて言うのに、一同は信号を渡っててくてくと二車線の道を歩き始めます。消えかかった道路の中央線に、青い苗も丘も眼にまぶしい風景です。遠くには、バイパスか何かか、こんもりと盛り上がった道を車が飛ばして行くのが見えます。いかにも、のんびりとした風景でした。
……ん、あの小山は何だろ?いきなり田んぼの中にあるけど。
——「甲塚古墳(かぶとづかこふん)」……と地図には書いてありますね。
え、『古墳—アンシエント・グレイヴ—』!?あんな小さなのが!?
………………文献上は知っていたけど、あんな小さいとは思わなかった。
とりあえず、地図に従って入口まで来てみると、果たして畦(あぜ)にしては太い道がまっすぐ東に小山まで続いています。こんなものを見つけて興味を覚えないわけもなく、一同は寄り道してみることにしました。
「国指定史跡」だって……しかもどん、と「史跡甲塚古墳」と書かれた石碑まで。
……解説板に曰く、「まだ考古学的調査は行われていないのでこの古墳自体は詳細不明だが、バイパスを造る際に発掘調査をしたところ周辺から古墳跡や建物の遺構、土師器(はじき、素焼きの器類)・埴輪・木簡などが出ている」……とのことですわ。
——じゃあこの辺りは、大昔は大きな集落だったんですね。それも、こんな古墳を造ってもらえる偉い人がいたような。
………………きりたんぽの人、それで多分当たってる。この古墳の被葬者は、この周辺を治めるよう朝廷に任じられた大豪族・石城国造(いわきのくにのみやつこ)の初代に当たる建許侶命(たけころのみこと)と伝えているから。木簡まで出ている辺り、このような有力者がここを拠点にしていても決しておかしくない。
なるほど、それなら古墳の一つも造ってもらえるはずですわね。
………………しかも、この人の息子や孫まで何人も国造になっている。この辺だけでなく、常陸国や上総国、果ては相模国まで進出してるという。
偉いなんて騒ぎじゃじゃないね……。でも、それならもっと大きなお墓でもよさそうだけど。
意外と気にしてなかったりして。本当に偉い人なんてそんなものかも。
………………まあもっとも、この辺は元が『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』という歴史書の独自の伝承なのと、成務帝という露骨に架空としか思えない帝によって国造に任じられているという辺り、いずれにせよ怪しいけども。
まあ、そこのところは『神秘—ミステリー—』ってことでいいじゃないの。
………………それと、この古墳の上に「八方睨みの松」という松が昔はあったけれども、枯れてしまったらしい。
松は枯れやすいからね……。松島の松まで虫にやられるんだもの。(ノД`;)
………………とんだ寄り道をしてしまった。神社へ。
そのうさぎの言葉を受けて、一同は元の道へ戻ると、またてくてくと道なりに山沿いを歩き始めます。そして、その道がぐいっ、と右に曲がった時でした。
……あ、ここかな?
ずん子が指差した先には、いかにも神社の入口らしい反橋と、注連縄(しめなわ)を巻いた巨大な樹が立っていました。
——それじゃ……。
待って、きりちゃん。道路を越えたあっちに、大鳥居がありますわ。
とにかく、このまま進むと参道を逆行してしまうことになるので、一回元の道に戻り、地元の集会場らしき建物の横を迂回して鳥居の前まで出ると、果たして近年建てたらしい大きな白木の鳥居が姿を見せました。
随分奮発したんですわね。神社は氏子さんたちに支えられているものですし、地域密着のほどがうかがえますわ。(。・ω・。)ノ
………………イタコの人の言う通り、この神社は愛されている。あ、みんな右か左に寄って。真ん中は神様の道だから。
ちょん、と頭を下げて鳥居をくぐり、今度はいよいよ本当に境内です。反橋を越えると、巨大なご神木と、まるで門番のごとく「延喜式内 縣社大国魂神社」「郷社 大国魂神社」と書かれた石碑が左右に立って出迎えてくれました。
………………まずは、手水(ちょうず)を。
あ、その前に蛇口開けないと駄目だね。
ずん子が蛇口を開け、ざあっ、と水が流れるのを、代わる代わる柄杓に受けて手水を使い始めます。
………………めたんの人、柄杓に口をつけるのは駄目。
え?あ、しまった!ごめんなさいね、いつもこうやって湧水を飲んでるから……。
(——めたんさん、相変わらず生活苦しいんですね……)
きりたんが二人のやり取りに微妙な顔をしているのを尻目に、先に手水を終えたイタコが、古びた看板の前に立っています。
えーと、これがご由緒書きですけど……湿気でひどい状態ですわね。読めないことはありませんけど……「おおくにたまとはうるわしき……る霊力をいい、国土の……神として千数百年前より……」。消えてる字が多くて厳しいですわ。
ただ、言おうとしてることは分かるよ。うさぎちゃんの言ってた通り、国の守り神様という位置づけなのは。
——さっきの甲塚古墳の主、建許侶命が造った、とも書いてありますね。いずれにせよ、いつからあったのか分からないくらい謎の神社なんでしょうね。
まさに『偉大なる神秘—グレート・ミステリー—』ね。
………………神社は元々、有史以前の人が神様の宿る場所として祀った「磐座(いわくら)」が元ともいうから。
そんなことを話しながら行くと、丘の神社にはつきものの急な石段です。女子高生や小学生には厳しそうですが、ひょいひょい、とみんな上ってしまいました。みんな、伊達にあのすさまじい山の上にある弓道場まで通っているわけではありません。
あ、これだ。
二礼二拍一礼、改まった場合は前後に軽く一礼ずつ、が正式でしたわね?
………………そう。他のやり方に関しては自由だけど、そこだけは一部の特別な決まりのある神社を除いて守る必要がある。
そんなことを教えられながら、五人は代わる代わる参拝を始めました。うさぎは「掛けまくも畏(かしこ)き大国魂神社(おおくにたまのかむやしろ)の大前を……」と祝詞を唱えています。その後ろから、「プロデュース成功成功」「もっと胸胸胸」「ずんだの未来未来」「お家再興お家再興」などと聞こえて来たのは、多分気のせいでしょう。
………………ふう、これで本体は終わり。あとは、雷神社や伊勢両宮神社の二つが、末社(神社に附随する小さな祠)としてあるはずなのだけど。
斜め後ろ……は、あれはお神楽を舞う神楽殿だよね?……って、え?
そう言いながらずん子が後ろを振り向いた時です。いきなり、そこにあまり参拝者という感じのしない、工具を持った年かさの男性が現れたのです。一同がきょとん、として見ていると、その男性は拝殿横のトタンの建物に入って行ってしまいました。
——これって工事ですね、どう見ても。
よく見ると、左側にもフェンスが……もしかすると、古社によくある修復工事かしら?
あ、看板立ってる。えーと……「大国魂神社本殿保存修復工事」「『平成の大修理』事業」。それなら、これだけ左右を固めてあるのも分かるね。
………………多分、末社も中に入っているのかも。
かもね。なになに……「実に三百三十年以上の風雪に耐えておりましたが(平成二十四年、三百三十三年を迎えました)、年を経るごとに加速度的に劣化が目立ちはじめておりました。くわえて、平成二十三年三月の……」。
すらすらと看板の文章を読み上げていたずん子の声が、そこでいきなり止まりました。その先に出て来る言葉は、この看板を読まずとももう分かっていることでしたが、彼女にはそれを読み上げられなかったのです。
……とりあえず、劣化と損壊がひどいから、二年かけて一気に直すみたい。
そうみたいね……「石城国建置千三百年記念事業」なんてのも考えてるみたいだし。
何とも重い雰囲気が漂う中、それを払拭しようとしたのでしょうか、イタコが拝殿の左前を指差しました。
ねえ、ずんちゃんにめたちゃん、ここにちょっとしたベンチがありますわ。せっかくですから、お弁当を使わせてもらいましょうよ。
……えっ?いいのかなぁ、境内でお弁当なんて。
………………置いてあるのだから、多分大丈夫。それに日本の神様は寛容。
——まあ、禁止の貼り紙も何もありませんから。
どこまでも地域密着ねえ。近所の人たちが、参詣のついでに休んで行くのかしら。
そんなわけで、五人はベンチに座ると、配られたおにぎりとお茶で午飯としゃれ込み始めました。もちろん、おにぎりの後はずん子のお家芸でずんだ餅です。
神社で弓矢は、結構さまになりますわね。
そうかな?ずんだアローは、つがえ方が特殊だけど……。
——せっかくですから、お供えして行きましょうか?
………………きりたんぽの人、お供えは鳥や猫が寄って来るから駄目。
あー……よくお寺なんかでも「持ち帰って下さい」なんて書いてあるわね。
壮麗な拝殿の斜め下で、女子会よろしく五人の女の子が楽しそうにしているのは、何ともほほえましい光景です。
あれ?姉さま、そのチラシは?
あ、ええ、これですか?『くにたま通信』というこちらの社報みたいですわ。賽銭箱の横にあったから、バック・ナンバーごともらって来たんですの。読みます?
一同が受け取ってめいめいに見てみると、かなり気合の入った社報です。宮司さんが相当まめな方なのでしょう。
これ、本殿だけじゃなくて山全体を整備したい、って思ってるんだ。この緑の山が散歩道になったら、気持ちのいい場所になるだろうね。
——「神社本殿工事・事業報告」。単なる広報じゃないんですね。
あ、あの古墳の松……二代目も枯れちゃったから、さらに三代目を植えたのね。
………………松は育つのが遅いから、見失ったみたい。あ、民謡と地元のお祭りの紹介。こういうのも大事。
あとこれが、ずんちゃんの言ってたお神楽のある例大祭の式次第ですわね。浜で海水をくんで、そこでお神輿の渡御をやるみたいです……ね……。
そこで、イタコの声が尻すぼみになりました。のぞいてみると、そこにはいつも神輿渡御を行う「豊間浜」が大工事のため祭事に使えるか分からないこと、そしてついに道路確保の問題から、中止になってしまったことが切々と書かれていました。
宮司さんの書いた、自らと氏子の人たちを奮い立たせるかのような文章に、一同が押し黙ったのは言うまでもありません。
ここに、こんな影響が……。
いえ、「ここにも」と言うべきでしょうね……。
重苦しい雰囲気が、再び境内に立ちこめました。過ぎたことに「もし」はない、そう分かっていても、もしあんなことがなければ……そんな気分にさせるものがありました。
……どうしようね、みんな。まだ一時くらいだし、ここで休んで行く?
——どうしましょうか。下りても、何かお店があるわけでもなし。
………………入口にあった、水守神社という神社が気になる。
あ、もう一つ行ってみるのもありかな。姉さまはどう思う?……姉さま?
ずん子が声をかけても、イタコは一同から返された『くにたま通信』を片手に見たまま、何も言おうとしません。
……え、あ、ごめんなさい。考えごとをしていて……。時間があることですし、うさちゃんの意見に同意ですわ。ささ、下りましょうか。
そう言うと、イタコは一も二もなく石段を下り始めます。その姿に眼を白黒させながらも、みな石段を下りて行きます。
(——どうしたんでしょうね、タコ姉さま?)
(わたしに訊かれても……)
そして道路を渡り、大鳥居へ向かう石畳へ出た時です。イタコが立ち止まり、静かに口を開きました。
……「倭(やまと)は、国のまほろば、たたなづく、青垣、山隠(こも)れる、倭しうるわし」。
え……?
………………イタコの人、何で『古事記』の倭建命(やまとたけるのみこと)の歌がここで……。
その問いに答えず、イタコは『くにたま通信』の最新号の「樹魂祭」の記事を示してみせました。
——「石城国のまほろば 大國魂の杜」。もしや……。
……ええ。その通りですわ。そこから、連想したんですの。これは倭建命が東征の途上、病に冒された時に詠んだ歌で、「大和の国は国の中でもすばらしき聖地、畳みかける青い垣根のような山に覆われた、あの大和の国の麗しきことよ!」。そんな意味ですわ。
………。
……ここまで自分の生まれた故郷を慕い、「聖地」とまで呼びながら、命はこの後伊勢の野辺に横死してしまいます。悔しかったと、思いますわ。倭建命は、東北にとってはある意味敵ともいえる人ですけれども、その心は恩讐を超えた一人の人間として理解出来ます。
——………。
あたしは、この歌を知ってからこの方、「まほろば」というのは大和のような特殊な場所にしかない、とても特別なものと思っていました。
………。
でも、そこにあるように、ここもまた、その「まほろば」の地なんですわ。だからこそ、石城国が設置される前から、この「国魂」を祀る神社が奉祭されたんでしょう。大和朝廷の東北経営でうたかたのように国を廃置するなどという勝手な政策を超えまして、ね……。
………………。
きっと、この地に住まう人たちにとって、この場所は帰りたい場所であるはず。……いえ、どんな人にとっても、帰りたい場所があるはず。それこそがその方の「まほろば」。この東北にも、きっとそんなところがたくさんあることでしょうね。
そう言うと、イタコはゆっくりと、大鳥居の右柱に手をやりました。
………………イタコの人、行こう。
……うさちゃん、ごめんなさいね。今少し、もう少しだけここに立たせていてくださいな……。
そう言ってイタコが遠くを見つめると、どこからか一陣の風が吹いて来ました。
その風に吹かれて、さらさらとなびく彼女の髪に、遠く遙かな何本もの銀色の道を見た気がしました——
<了>
(平二十六・七・十一)
[平二十六・七・十二/補訂]
[平二十六・七・十二/補訂]
《あとがき》
こんにちは。今回、二度目のずん子ちゃん小説二次創作に取り組ませていただきました苫澤正樹と申します。ここまで、おつき合いを頂きましてまことにありがとうございました。
さて、いくつか補足をいたします。まず「東北の『大国魂神社』」こといわき市の大国魂神社ですが、いわき市中心部=旧平市街の東の郊外、菅波地区にあります。祭神は「大国玉神」を別名とする大己貴命(おおなむじのみこと)を筆頭に、息子の事代主命(ことしろぬしのみこと)、妃の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の一家です。詳しくは、以下の公式Webページをご参照下さい。
「延喜式内大国魂神社」http://ookunitama.jp/
「延喜式内大国魂神社」http://ookunitama.jp/
またこれを書くため現地へロケハンにまいりました際、作中で登場した社報『くにたま通信』を拝殿横で発見し持ってまいりました。こちらにしか書かれていないことも多かったので、参考とさせていただいています。
次に石城国について。この国は養老二(七一八)年五月二日に隣の石背国とともに分割されて置かれた国でした。二年後の『養老律令』内にその名が見えることから、最低三年間は機能していたようです。
しかしその後は雲隠れをしてしまい、神亀五(七二八)年に「石背国白河郡」のはずが「陸奥国白河郡」と書かれ、この時までには既に完全消滅しているのが確定しています。あくまで「この時まで」なので実際の廃止時期には諸説ありますが、いずれにせよ十年ももたないまま消滅した「幻の国」であったことは確かです。
このような性質から、石城国に関する文献・論文は決して多くありません(作中登場の論文は架空の論文です)。めぼしいものとしては戸田有二「養老二年設置の石背・石城両国をめぐって」(「国士舘史学」第五号所収、國士舘大學史學會刊・平成九年)があります。どちらかというと石背国寄り、内容もやや考古学寄りですが、この両国を大きく扱った論文ということで示させていただきました。
なお『延喜式神名帳』の元本として今回使った『新訂増補国史大系』は、東京帝国大学(現在の東京大学)の黒板勝美教授とその弟子が多くの史書を校訂して発行したもので、現在は吉川弘文館が刊行しています。ただし、『延喜式』自体は他にも註釈書がありますので、もし手に入らないようでしたらそちらもご検討下さい。
また、今回は舞台が舞台だけに、非常にデリケートな部分に触れるような話になってしまいました。もしご不快になるようなことがございましたら、速やかに削除いたしますのでお知らせください。
それでは、また機会がございましたらお会いいたしましょう。
【補足】この作品を書いていたちょうど数日前、資料としていた論文の筆者・戸田有二氏が白玉楼中の人となられたことを知りました。この場を借りて、氏のこれまでの研究活動ならびに震災後の遺跡被害状況に関する精力的な調査活動に敬意を示しますとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。