阿古屋松
古文で出た宿題に困るずん子に、イタコが教えた世阿弥の能『阿古屋松』。しかし、そこから話は思わぬ方向に向かい……。
(——早春、午過ぎの東北家の居間にて——)
……どうしようかなぁ。(´・ω・`)
あら、ずんちゃん、帰ってたんですの。……って、珍しく難しい顔してますわね。
帰るなり、居間のちゃぶ台を前に思い切り頭を抱えるずん子を認めて、イタコが不思議そうに言います。
——あ、タコ姉様。仕事はどうしたんですか?
代休で午後は休みですわよ。労働基準法は守らないといけない、ってことで。(。・ω・。)ノ
——イタコにも労働基準法は適用されるんですか?
ええ。守らないと、「ブラック企業はねーがー!」と庖丁持ってお役人が来ますし。
——その方が、よほどいろんな意味で危ない気がしますが……。
あーあ、こんな宿題ってないよ……って、わわっ、イタコ姉さま、いつからそこに!?∑(゚◇゚ノ)ノ
いえ、さっきからですわよ……。(;-ω-)ゞ
土間できりたんと話しているイタコに不意に気づき、ずん子がすっ飛ばんばかりに驚きます。どうやら、相当に集中していた……というより、思考が煮つまっていたようです。
それはともかく、何なんですの?さっきからうなってばかりで。
実は、古文の宿題でちょっと難しいのが出ちゃって。
『おくのほそ道』のですの?
そう、ずん子が今眼の前にしている古文の教科書には、かの有名な松尾芭蕉の『おくのほそ道』が載っていました。この東北地方には縁の深い文学ですから、難しい宿題の一つや二つ出てもおかしくないのですが……。
——それが何でも、先生の気まぐれから出たとか。
そういう次第で……うちの古文の先生、フリーダムにも程があるんだよね。今回は芭蕉が「壺のいしぶみ」を見て大感激したって話から、歌枕そのものに話が飛んじゃったんだ。(・´_`・)
あー……確かに「壺のいしぶみ」は、東北有数の歌枕ですものねえ。(´ω`;)
——「歌枕」といいますと?
あ、初等部だとなじみはないか。和歌で土地を詠む時に、象徴としてよく詠まれた名所古跡のこと。東北だと松島とかが代表かな。
——ああ、何となく解りました。絶景ですから、歌の題材にはぴったりですね。
それで、芭蕉もここだけじゃなくていろいろ歌枕を訪ねてるんだけど、やっぱり訪ねてないところもあるんだって。そういうところ、出来れば伝説のある場所を探してレポートを作りなさいっていうんだよ……。(。・´_`・。)
で、悩んでると。
その通り……でも、伝説がある歌枕なんて、そうそうないんだよね。(・_・`;)
……ん?伝説のある歌枕……そうですわ!∑d(゚∀゚d)
わわっ、姉さま、いきなり何!?
思い当たりがあったんですわよ!山形、それも県庁の真ん前にある「阿古屋の松」!
——「阿古屋の松」?聞いたことがないですね。
仕方ありませんわ。元々は『平家物語』に出て来る歌枕の上、世阿弥の能『阿古屋松』での脚色の方で知られていますから。相当専門的なお話になりますもの。
——能ってあれですか、お面をかぶって鼓や笛で伴奏をつけながら踊る伝統芸能の。
薪能なんかも最近盛んだし、きりたんくらいの歳でも能は知ってるんだねえ……で、姉さま、それってどんなお話なんです?
まあ、解りやすい方で、能の筋書きをお話ししますわ。
これ以降、しばらくイタコの独擅場が続くのですが、いかんせんだらだらと長くなってしまうので、ここで彼女ときりたんの二人に寸劇の形でお話を演じてもらいましょう。
(——平安時代中期、一条帝の御世——)
わしの名は藤原実方(ふじわらのさねかた)。このたび、陸奥国に守(かみ=長官)として赴任することになったのじゃ。
……もっとも、左遷じゃがなー。(;-ω-)ゞ ああ全く、あの時行成(ゆきなり)めと、けんかなどしておらねば。
藤原実方は、帝の警護をする近衛府(このえふ)の次官・左兵衛中将(さひょうえのちゅうじょう)を務めた貴族で、都では知らぬ者のいない歌人だったのですが、帝の御前で同じ有名歌人の藤原行成に対し一方的に無礼をはたらいて大目玉を食らい、左遷されてしまったのです。
取りあえず、「歌枕を見てまいれ」とのおおせ、こなさねばならん。じゃが、ここへ来て「阿古屋の松」が見つからん。
普通の歌人なら、普段見られない歌枕を見て楽しむ余裕もあったのでしょうが、いかんせんこのなりゆき。実方は、少々いらいらしていたようです。
これ、これ!そこな木こりのじじい!(`・ω・´)
——何ですかな?
この陸奥国に、「阿古屋の松」なる松があると聞いておる。そちは知らぬか!
いくら貴族とはいえ、人にものを訊くのにひどく偉そうな態度です。木こりのおじいさんはさすがにむっと来てしまいました。
——「この国」の「阿古屋の松」なぞ、知りませぬ。
ぬぬ、これじゃから下々の、それも田舎者は。古き歌に「陸奥の阿古屋の松」とあろうが。
おじいさんの木で鼻をくくったような返事に、いらつきが頂点に達し、実方は身分を露骨に振りかざし始めました。ここまで来るとただの嫌なやつです。
——えーえー、おっしゃる通り、私めは下々も下々の木こりのじじいですとも。その「阿古屋の松」とやら、私なぞより年かさの人にお訊きなされ。
その「年寄り」がそちくらいしかおらぬから訊いておるのじゃ!(`・ω・´)
ここまで来ると意地の張り合いになりかねません。やむなくおじいさんが折れました。ただし……。
——今思い出しましたぞ。「阿古屋の松」は、昔は「この国」にございましたが、今は隣の「出羽国」にございます。
……謎かけのような答えが帰って来たのですが。
馬鹿を言え。何であのような、名所にもなる松が、国を移ることなどあるのじゃ。
実方は大いに笑いました。確かに、松に足でも生えない限り国を移動するなんて有り得ません。しかし、その反応におじいさんは少々腹立たしげに返します。
——全く、人をお笑いになるにも程がございますぞ。
何じゃ。
——その昔、この日本は三十余りの国に分かれておりましたが、やがて今のように六十六ヶ国に分かれたのはご存知でしょうな。
——分かれる前は陸奥国と出羽国は一つの国でございましたが、やがて出羽国が分かれました折、そちらに「阿古屋の松」の生えている場所が入ってしまいましてな。ですから「この国」には今やなく、「出羽国」にはある、となるのでございます。
あっ……そそ、そういうことか。あ、有り得るな、充分に……。∑(゚д゚;)
このおじいさんの言うことは事実です。東北地方は最初こそまるまる「陸奥国」でしたが、和銅五(七一二)年に越後国と陸奥国の互いの端っこをくっつける形で分けて、「出羽国」を新たに立てています。これが現在の秋田県と山形県に相当しますので、先にイタコがちらりと言った通り、「阿古屋の松」の所在地は山形=「出羽国」となります。
つまりは「松」ではなく、「国」が動いたんですね。それを知っていたおじいさんは、自分を「田舎の馬鹿じじい」と散々こけにしたこのいけすかない貴族の鼻っ柱を、「どちらが馬鹿だ」とへし折ってやったのです。
あ、ああ……そうなると「出羽国」の「阿古屋の松」というのが正しかった、と。
——その通りです。
もはや形勢逆転です。そして、「ちょっとそこに座れ」と言わんばかりに、お説教が始まってしまいました。
——大体ですな、私は確かに田舎者の木こりではございますが、だからといってのっけから人をむやみやたら小馬鹿にして卑しめるとは何ごとですか。いくら都のお偉い方とはいえ、そんなことをしていい道理はございませんでしょう。
す、すまぬ、この実方が不徳であった……。と、とりあえず、その「阿古屋の松」について知っているようじゃし、案内をしてくれぬかな。(;゚∀゚)
いちいちもっとも過ぎるおじいさんの説教にぐさぐさ来た実方は、今度は丁寧に案内を頼み込みました。
——解っていただければよいのです。では、まいりましょうぞ。
そこからてくてくと、一行は西へ行きます。山を越え、国境を越えて出羽国に入ると、急に開けた場所に出ました。
——あれでございますよ。あれが、「阿古屋の松」にございます。
おお!聞きしにまさる、美しき緑!ご老人、まことにありがたい!(≧▽≦)ゞ
これまでの苦労もあってか、実方は大感激です。むろん、こんな長々しい道案内を買ってくれたおじいさんへのお礼も忘れません。
……それにしても、だ。ご老人、家はどこじゃ?
——松島にございます。
待った、こんなに遠くまで来てしまって大丈夫なのか!?∑(゚ω゚;ノ)ノ
——大丈夫にございます。戻ろうと思えば、近所まですぐでございますゆえ。
家路を心配する実方に、おじいさんはいきなり妙なことを言うと……。
——かく言うゆえは、我こそ塩竈明神の化身なればこそよ。今、その正体を顕さん時。
突如として口調が変わり、自分が東北有数の古社・塩竈神社の神様の化身であることを明かしたのです。そして、果たして次の瞬間、おじいさんは見るも神々しい姿となって現れました。
この後、二人は「阿古屋の松」の下で松と互いを讃え合って舞を舞い、「いざさらば」と塩竈の神様が松の木蔭に姿を消して終劇になるのですが、ここの部分は語るには解りづらいので、ここらで終わりといたします。
(——説明終わり——)
……とまあ、そんな話なんですわ。(。-∀-)ノ
何ていうか、やりこめぶりが面白いなあ。「お前、都から来てこれぐらい知らないわけがないだろう」っていう皮肉がこもってて。
——能って堅いイメージがありますけど、こんなユーモアもあるものなのですね。
うーん、元々は「猿楽」っていってコメディだったから、能は。今みたいに芸術的になるのは、室町時代からだったらしいしね。
とりあえず、この話は行けると思いますわよ。高校二年生で、世阿弥を出す人もなかなかいないでしょうし。
うーん、先生やみんな、引かないかな……。(´・ω・`)
大丈夫ですわ!∑d(゚∀゚d) むしろ、ずんちゃんプロデュースのいい機会ですもの!
——宿題でプロデュースしても……と突っ込んでも無駄でしょうね、これ。
自信満々なイタコに向けられるきりたんの何ともいえない視線を背に、ずん子はパソコンで「阿古屋の松」を調べ始めました。
(……あれ?「あこや」の字って……まあいいか、平仮名で入れても検索エンジンが補完してくれるし)
ここで、ずん子がこのような自己判断をしたことが、話を意外な方向に転がすと誰が思ったことでしょう。
……?千歳山の「萬松寺(ばんしょうじ)」?
ああ、そういえば……小さな山の、お寺の境内にあるって聞いたことがありますわ。
そうじゃなくて姉さま、松の名前の由来、由来。
………? (´・ω・`)
——「境内の『阿古屋の松』は、阿古耶姫の名に由来する」?
この人って、神様か何か……って、お寺にそれはないか。それとも……。
ああ、思い出しましたわ!
うわ、びっくりした!!∑(゚ω゚ノ)ノ
山形の昔話に、まさにその「阿古耶姫」のお話があるんですわ。(`・ω・´) ただ……。
——ただ?
とても、悲しいお話なんですけどね。 (´・ω・`)
思いついてきりっとなった後、一転しゅんとなったイタコは、その「阿古耶姫」伝説を語り始めました。やはりこれも、整理のためイタコときりたんの寸劇で進めましょう。
(——飛鳥時代後期、今から約千三百年前——)
いまだ、出羽国が陸奥国から分かれていなかった頃のお話です。現在の山形市がある最上郡(のち村山郡として分割)に、あの大化の改新で有名な藤原鎌足の曾孫・藤原豊充(ふじわらのとよみつ)が、朝廷の牧長(御料牧場の長)として赴任して来ました。この豊充の娘が、阿古耶姫です。
詩文管絃に優れ、美貌に恵まれた姫。しかしやはり都人の阿古耶姫には、いきなり見も知らぬ遠いところへ放り出された格好、毎日都を懐かしんでおりました。
——お父上は、お仕事お仕事と出かけてばかり。しかもこのように見知らぬ所で知り合いもなく……わたしの友は、この琴だけです……。
そう言いながら、毎夜毎夜得意の琴を弾いて悲しみを慰めておりましたところ……。
~♪~♪~♪
何と、姫の琴に合わせるように、美しい笛の音が響いて来たのです。
——どなたですか?
……ああ、これは失礼いたしました。私は名取左衛門太郎(なとりさえもんたろう)という者。こちらを通りかかったところ、あまりに美しい琴の音がしたもので、笛を吹きたくなったのです。
この左衛門太郎なる若者、後の世にいう光源氏に勝るとも劣らぬ美男子でした。その容貌もありますが、自分に惹かれて相手をしてくれた、ということを姫は心から喜びました。
——お住まいは、どちらですか。
ここより山を越えたところの、海辺の名取(現在の宮城県名取市)というところです。
——まあ!それでは、ここまで来られるのも大変でしょう。
まあまあ、あなたのような美しい姫と音楽を奏でられるのなら、別に遠いとは思いません。
そしてそれから毎夜、左衛門太郎は姫の許を訪ね、心行くまで笛を吹くようになりました。
そうなると、自然と惹かれ合うのが男女の定め。二人は恋に落ち、祝言まで誓い合う仲となりました。しかし、ある秋の日……。
……姫。私は、明日以降ここにはまいれません。
——え、何がおありになったのですか!?
実は……私は、人間ではないのです。この最上郡の千歳山にある、松の木の精なのです。
——!!
そして、悲しいかな……明日、名取川に橋を架けるため、私はこの身を伐られる運命にあるのです。……さようなら、姫。
——お待ち下さい、お待ち……!!
しかし、無情にも左衛門太郎の姿はかき消え、姫の手は闇に虚しく伸びるのみでした。
——そして、翌日。ついに、千歳山の松の伐採が始まりました。姫は、ただただ呆然とそれを眺めているしかありません。
よっしゃあ、伐れたぞ!後は名取まで運ぶだけだあ!
里長がそう叫ぶと、里の人が一気に縄を掛け、引っ張り出します。が……。
え……動かない!?おい、こりゃどうなってんだ!?
里から腕っこきの男たちを集めているのに、松はぴたりとも動きません。これはまいった、と里長は、あわてて祈祷をしご神託を賜りました。
えー……「『阿古耶姫』という名の者の手を借りねば、動くまい」?……わけが解らんが、とにかく訪ねてみるか。
そう言いながら里長が阿古耶姫の許を訪ねると、姫はそれを聞いて一目散に松の木のあるところへ駆けつけました。
倒れている松に、昨夜の左衛門太郎の言葉を思い返してむせび泣く姫。しかし、泣いても愛しい恋人は帰りません。意を決し、松に手をかけました。
う、動いた!?本当に動いたぞ!!
果たして、松は身震いすると一気に軽くなって動き始めました。半信半疑だった里人たちも、一体何が起こっているのか解らないながら、とにかく山越えを始めます。
その時です。ふっと、松から何かが立ち上り、かの「左衛門太郎」となって顕れました。
そもそも、名取川は暴れ川……私はその橋となり、人々の礎となりましょう。どうぞ、心あらば私の供養をしてください。
——あなたのその願い、きっと果たしましょう。
そうしてささやき合う二人。これを受け、この峠は後に「ささやきの峠」と名づけられ、訛って「笹谷峠」になったといいます。
こうして悲しい別れをした阿古耶姫は、約束に違うことなく千歳山の麓に庵を結び、仏門に入って夫の供養をしました。そして、松を切株の横に手植えしながら、こう言いました。
——千歳千歳折る勿(なか)れ、切る勿れ、我が夫の宿樹(やどりぎ)なり。
「いつまでも、いつまでも、折ってはなりませぬ。切ってはなりませぬ。我が夫の宿る樹なのですから」。この松こそが、「阿古屋の松」なのです。
その後姫は、伝えるところによれば慶雲四(七〇七)年にわずか齢二十四でこの世を去ったといいます。残された庵は、名僧・行基により改めて寺として開基され、現在の萬松寺となったのでした。
(——説明終わり——)
ううっ、うっ……。・゚・(゚うェ´゚)・゚・
——ううっ……。
………。(-ω-)
ずん子ときりたんは泣き出しました。職業柄、イタコの語りの上手さも手伝ってのことですが、それにしても切なすぎる物語といえましょう。イタコは、そんな妹二人を前に、ただ瞑目しています。
……ううっ、泣いてないで、書き留めておかなきゃ。
そう言って、ずん子がレポート用紙を引き寄せた時でした。
……え?
——うう……え、どうか、しましたか?
こ、これ……どういうこと?
嗚咽をまだ上げていたきりたんが訊ねるのに、ずん子がパソコンの検索結果を指差しながら言います。
「復曲能『阿古屋松』が山形で七月上演」……。
——去年の記事ですね。でも「復曲」って……。
多分、演じられてなかったのを復活……って、「約六百年ぶり」!?
——他の結果だと、「約五百八十年ぶり」ともありますね。
ちょ、ちょっと見せてくださいまし!
二人がそう語り合うのに、イタコが割って入りました。そして、新しいウィンドウで「世阿弥」を検索したのです。
……やっぱりですわ。この時代の曲でしたか……。
え、どういうこと?
今から五百八十年前は、西暦一四三四年。世阿弥が、佐渡に流された年ですわ。
ええっ!?し、島流し!?∑(゚д゚;)
——何か悪いことでもしたんですか?
とんでもない。時の将軍・足利義教はひどい暴君で、ちょっとでも気に入らない人間は粛清していたんですわ。世阿弥の場合も、その実子ではなく養子をひいきした義教が、これでもかというくらいいじめ倒して、しまいには親子揃って島流し……。
ひどい話……どこからどう見ても独裁者じゃないですか。
まあ因果応報で、義教は暗殺されてしまうんですけども。……まあそれはいいとして、この頃にはもう演じる場所すらなかったはずですから、書かれてから全く演じられていなかったとしてもあながち不思議ではありませんわ。
——それにしても、ゆかりの地の山形でもやって下さるとは……復興を願う気持ちを、真摯に感じますね。……って、ずん姉さま?
きりたんがそう言うのを背に、ずん子は立ち上がり、縁側の障子に手をかけて庭を眺めました。
そうかあ……それ、あの世の世阿弥も喜んでるよね。そして、その題材になった「阿古屋の松」の藤原実方や、伝説上の人とはいえ阿古耶姫も名取左衛門太郎も、きっと喜んでるよね。
………。
六百年、千年、千数百年経っても、伝えなきゃならないものがある。何だか、ちょっとした義務感感じちゃうな。
——………。
さて、湿っぽいお話はおしまい。よーし、書いちゃうかぁ!
——ずん姉さ……。
きりちゃん。ここは、一人にしておいてあげましょう。
——それも、そうですね。
……しかし、ずんちゃんもいつの間にか大きくなりましたわね。ふふ……。
そう言うと、イタコときりたんは、居間を静かに後にしたのでした。
表通りを、いつ咲いたのか小さな花を揺らして、駅へ向かう乗合自動車が走り過ぎて行きます——
<了>
(平二十六・三・十一)
[平二十六・三・十二/補訂]
[平二十六・五・七/再訂]
[平二十六・三・十二/補訂]
[平二十六・五・七/再訂]
《あとがき》
こんにちは。今回、ずん子ちゃん小説の二次創作に取り組ませていただきました苫澤正樹と申します。今回の内容について、簡潔に補足いたします。
まず能『阿古屋松』ですが、横道万里雄・表章編『謡曲集(上)』(「日本古典文学大系」第四十巻、岩波書店刊・昭和三十五年)に収録されております。大きな図書館にありますので、ご興味のある方はどうぞ。
次に「阿古耶姫伝説」ですが、これは実は様々なバリエーションがあり、これと定まったテキストがありません。私としては地元民でないこともあって困り果て、萬松寺の縁起に加え、いくつかWeb上をさまよって、大体これでいいだろう、と思うものを採用いたしました。テキスト批判の面からは逸脱した行為ですが、悪しからずご諒承ください。
なお、京都精華大学において、この「阿古耶姫伝説」を研究した論文がございますので参考までに提示いたします。
鬼頭尚義「あこや姫伝説の諸相——説話から縁起へ」(「京都精華大学紀要」第四十号、京都精華大学刊・平成二十四年) http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/kiyo/pdf-data/no40/kitoh_naoyoshi.pdf
また本作の公開日が震災より三年に相当いたしますことは、読者諸氏におかれましてはご存知かと思われます。ここに犠牲者のみなさまに心よりの哀悼の意を示しますとともに、被災地の一刻も早い復興を祈らせていただきます。
なお、この追悼が後よりの追加となりましたことを、礼をはなはだ失したものとして極めて恥ずかしいことと存じております。ここに併せてお詫び申し上げます。
それでは、また機会がございましたらお会いいたしましょう。